『淫乱斎英泉』とは?

1975年、矢代静一の浮世絵師三部作(他に『写楽考』『北斎漫画』)の一つとして誕生した『淫乱斎英泉』。

時は幕末近い天保年間から嘉永あたり(1830年~)。
時代の大きな変革期に開国、尊皇攘夷と世の中が騒がしい頃、渓斎英泉という浮世絵師がいた。
本名は善次郎。
春画を描く際の雅号を “淫乱斎英泉” とし、傍らで女郎屋を営むような、人を食った奔放な生き方をしていた英泉。美人画で有名な“歌麿”のきれいごかしとは異なり、廃退的で妖艶な女を見事に描いていた彼は、まさに江戸という時代の廃退、そして英泉自身と彼を取り巻く人々の廃退と、見事に重なるのであった。
その英泉が影であるなら、光の中で生きる時の寵児、蘭学医師・高野長英。
手段はどうであれ、幕末に生きる人々の将来を憂い、国の行く末を憂う長英は、己の意思と野心をもって懸命に人生を走るのだが、見えない力にもてあそばれるかのように、時の濁流に飲み込まれて行くのである。

そんな長英・英泉、光と影を分かち合った二人の男に、英泉の異腹の妹・お峯、英泉の営む女郎屋で働いていたお半、典型的な江戸大店商人・越後屋が回り灯籠のように現れ絡み合い、おおよそ20年にわたる歴史の大波に浮かぶ朱茶の泡沫(うたかた)のような芝居、それが『淫乱斎英泉』なのである。

ものがたり

その日は、浮世絵師・溪斎英泉が根津にて営む娼楼・若竹屋の店開きの日であった。文化繁栄の一翼を担う芸術家たち、十返舎一九、滝沢馬琴、為永春水らも集まっている。
そこに、英泉の腹違いの妹・お峯の眼病を治した縁で蘭学医師・高野長英が訪ねて来る。お峯は憂国の志を抱く長英を秘かに慕っていた。
また若竹屋では、お半が娼婦として働いていた。お峯にしろ、お半にしろ、未熟ながらも己が生きる道を懸命に探ることに例外はなく、その姿は健気でもあり、哀れでもあった。
義妹を抱けと、長英を挑発する英泉。それは、まだ世に揉まれていない初心な長英の思想をも挑発するものであった。開国をめぐる体制と反体制の軋轢。時代の軋みを誰より早くかぎあてながら、世のすね者として時代に身をおくのが、淫乱斎英泉だったのである。
そこにやって来た呉服商人の越後屋。どうやら英泉が越後屋の懐のものを盗んだらしい。英泉にかかれば"悪"もまた"必要善"と化すのである。訪問の目的はさておき、英泉・長英・お峯・お半の様子に興味を抱いた越後屋は再来を約束し店を去る。

それから十年近い月日が流れる。
長英は、世の人々のために西洋の優れた技術を伝え、己の医術にも磨きをかけ、まさに時代の寵児となっていた。会えない年月中でも長英を慕い続けていたお峯は、時の幕府に目をつけられている長英の身を案じ、彼の屋敷を訪ねる。しかし、時の流れは残酷にもその男から昔の野暮な面影など全く消し去っていた。
やがて長英は幕府の命で、小伝馬町の牢に入れられる。世に言う、“蛮社の獄”である。
一方英泉は、相変わらずの自堕落な暮らしを続けていた。絵の才能を認められるにもかかわらず、今度はそれに逆らうかのように描くことを放り出す英泉。

さらに五年後。
若竹屋店開きの日が縁で越後屋の妾となり、やがてお内儀におさまっていたお半が、夫の使いで英泉の家を訪れていた。
その頃の英泉は絵を描くことをやめ、本を書いているという。その生活は変わらず奔放である。
そんな英泉のもとに越後屋が牢破りをした長英を連れてやって来る。「長英をかくまえ」というのだ。家業の存続のためにも長英の思想・開国の論を何としても実践させたい越後屋。英泉は長英をかくまう事を承諾する。そして長英の容貌を変えるため、躊躇することなく長英の顔に硝石精をかけたのである。

英泉が長英に自分の余生を賭けた日々が始まる。
そんな彼らの為、身を売って生きる財を稼ぐお峯。
それぞれの想いの中、歳月は過ぎて行く。

嘉永三年秋、その日はやって来る。